管巻いてんでしょ。

 レンジの味する飯食って、イノチミジカシ聴いてる昼。増やし鬼の最後の一人を捕まえたげたいなぁという心地でいる。

 言葉や漢字を忘れてしまうと、感情も少し逃げ出してしまう。私の場合はね、わたしの場合。

 また別に、この気持ちは何て言えばいいんだと考えあぐねてしまうことが、案外単純な言葉にぴったり収まることも。そしてその単純な言葉に愕然とする。それははぐれて好き勝手行ってた感情たちが、ここの箱だったら飛び込んで来てくれるという感覚で。あとそこに行き着くまでの時間の長さに。わたしは本当はこう思ってたんだって驚く。

 例えば、この人といると違和感あるな、なんなんだろう、という人とある程度時間を積んで、やっと嫌いだと気づいたときとか。

 他に例を出そうとしたが、ぱっと出てこない。大抵、わたしはこういう場合、不快な感情を抱いている。

 人間の感情、大きく快か不快のどちらか。快は特に細分化する必要なく、心に留まるだけでいい。不快は細分化する必要がある。具体的に、こういうふうに感じてこれが嫌だったと分かる必要がある。そうすれば今後その不快感を避けることができるから。

 他人の反応に聡いから、自分の感情をなおざりにしてしまう。あと、不快な感情自体好ましくなく、自分の胸中に存在してるというだけで、自身への否定に繋がる。自分の感情の処理に時間がかかる。

 今日はちゃんと自分の気持ちに言葉が付いて、そんなことを感じる自分に嫌気が差していた。これ以上自分のことを嫌わないであげたい。

 数日経っているものの、日に日に嫌悪感が増えていく魔法にかかってる。バ先の店長に最近はなにか悩んだりしてないかと訊ねられ、そんな悩んでないですよーーーと伝えた。そしたら悩んでない人なんていないでしょと言ってくれた。はぁ。涙涙。

 苦労してないでしょ?って言われて、この子苦労してる!!って言ってくれて。悩んでないですって言ったら、悩んでない人なんていないって言ってくれて。涙涙。

 人間無理すぎる。も、人間に救われすぎる。無理すぎる側と救いまくり側とあんので、いつも通り冷静に人間関係選ぼーーー。

 という心に至るまで酷く時間を要したわけですが、それと比例して体も馬鹿になってきているわけで。さいきんはあまり眠れないのですが、まぁ人生そういうこともあるだろうという。破壊衝動を抱え込んだ心であっても、人や物に当たることを自分が許すわけなく、体に、当てている。自傷ではなく、運動したりだとかで。眠れん&疲労でどうにかなりそうで下らない人間にあてがう自分も残ってないのに。被害者面してもいい?やっぱダメ?

 冬の鋭い寒さはどこに行ったのか。朝七時、布団にくるまらず過ごせる。目覚ましの音、踏切の音。猫も寂しそうに鳴いてる。五感を一つだけに絞って休みたい。